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日本でのロータリーのグローバルヒストリー   Rotary Global History of Japan
 

ロータリーの始まりと拡大の1ページ史

 

1905年、37才の弁護士ポール・ハリスが世界を変えました。

   1891-1896年、ポール・ハリスは全ての面で忍耐心の重要性を教えてくれた祖父母に、ニューイングランド地方で育てられました。1891年法学部を卒業、弁護士資格を得ました。

   最終学年の時、同じ大学の先輩が講演の中で “卒業生は皆、まずどこかの小さな町に行って5年間ぶらぶらしてみるのが賢明なやり方だ。その後で自分の選んだ都市に行って開業すればよい。” と言ったのです。この先輩の話で、ポールは世界中のどこにでも行って、やりたい事をやってみようと決心しました。

   まずサンフランシスコ・クロニクル紙の記者(1891年)、果樹園での肉体労働、そしてブドウ工場の作業員として働き、1892年ロスアンゼルス商科大学の講師となりました。同年、コロラド州デンバーに移り、劇場の専属劇団の舞台俳優,ロッキーマウンテンニュース紙の記者,牧場でカウボーイ,リパブリカン紙の記者,フロリダ州ジャクソンヴィルでセント・ジェームズホテルの夜勤事務員,1892-1893年にかけては大理石花崗岩の出張販売員,ワシントン・スター紙の記者,牛運搬船の中の牛飼い(1893年),乾燥農家や缶詰工場での肉体労働(1893年),牛運搬船の副職長(1893年) (ポールは最初の航海では人間以下の状況を経験したと述べています)。フロリダでのオレンジ摘み人夫(1893年),フロリダ州ジャクソンヴィルに帰り、再び大理石販売の会社に戻りました。

   ポールが任されたのは南部と諸州,キューバ,バハマ諸島,そしてヨーロッパでした。しばらくその会社のために働いた後、シカゴに移って弁護士事務所を開くつもりだと申し出ると、経営者は次のように慰留しました。“シカゴに定住するとどんな利益があるか知らないが、君が私のところに留まってくれれば、シカゴに行く以上に良い収入が得られると思うのだが” するとポールは答えました。“おっしゃる通りでしょうが、金儲けのためにシカゴに行くのではありません、そこで人生を切り開くために行くのです。”

 
このセクションでRGHFメンバーRTNとによって開始された。梶井大和クラブ:ロータリークラブの中津平成、区:2720、ゾーンの数:3、ジャックセルウェイによって2010年2月25日スタート投稿
 
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